【Incubit for Seeds インタビュー アナウト株式会社】 前編:「より安全な手術を提供したい」現役外科医の熱意とビジョンへの共感から手術支援AIプロジェクトが発足
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2018年からインキュビットが実施するAI共同研究開発型インキュベーションプログラム「Incubit for Seeds」のβ版プログラムに参加し、AI開発の共同研究を進めてきた小林さん。一体なぜ、現役の外科医である小林さんがAIを開発し、起業を決めたのか。一体どのような思いがあったのか。アナウトの小林さんに、インキュビット代表の北村がお話を伺います。
(前編)「より安全な手術を提供したい」現役外科医の熱意とビジョンへの共感から手術支援AIプロジェクトが発足
(後編)ブレイクスルーを経て起業へ。外科医療 x AIのスタートアップ、アナウト株式会社の目指す「より安全な手術」が実現する未来
外科医である小林さんはAIの進化を知ると、ただちに自らの専門分野である外科領域への応用可能性を考え始めたそうです。インキュビットとの「手術支援AI」共同研究がはじまった背景には、小林さんの熱意と描くビジョンへの共感がありました。2018年5月、正式にプロジェクトが始動。果たして求める精度までAIの結果が出るのか。その答えは未知数のまま始まった中、「手術中の外科医が有用だと感じるか」と問い続けながら、一歩一歩地道にゴールへ向かったプロジェクトの軌跡を振り返ります。
AI x 外科医療の着想
北村:小林さんと私達インキュビットは2年以上前から「外科医の知識を人工知能に学習させ、手術中の視覚認識を手助けするAI」の研究開発を共に進めてきました。小林さんがAIに関心をもったきっかけを教えていただけますか?
小林さん:2016年、ちょうどアルファ碁がチャンピオン棋士を破った年に、最先端のAIを紹介するTV番組を見たんです。病院で日々手術をすることが中心の外科医らしい生活をおくっていた中、AIの進化のスピードを目の当たりにして、非常に大きな可能性を感じました。CT上で5mm程度の肺がんをAIが見つけたと知り、AIは一部の診断領域において臨床で活用できるレベルに近づいているのか、と。
とはいえ、僕の専門である外科領域においては、AIが実際に活用されるにはまだ時間がかかるだろうとも思いました。手術中の外科医が扱うのは、多様かつ膨大な生理学情報ですから。ただ、もしAIが外科医にとって有用な情報をリアルタイムで提示することができたら、手術はより安全になる。そのとき、カギとなるのは画像認識だろうと思いました。
最近主流となりつつある腹腔鏡手術や手術支援ロボットでは、モニターをみながら手術するようになっています。画質が向上し、外科医は術部を極めて細かいところまで観察できます。一方、常に動く画像の中で、外科医がモニターに写る情報すべてを把握し続けることは非常に難しい。そこで、手術中の外科医にとって重要となる情報をAIがリアルタイムで提供できたら、それは確実に外科医の助けになるし、手術合併症の軽減につながると考えました。
「画像セグメンテーション」からインキュビットへ
北村:そこからどうやってインキュビットにたどり着いたんですか?
小林さん:AIについて自分でも色々調べていくうちに、「画像セグメンテーション」という言葉を知りました。画像全体や画像の一部を検出するのではなく、ピクセル一つ一つに対して、カテゴリを関連付けるAIの技術です。外科領域で画像認識を活用するとしたら、この技術が必要になる。そう思ってGoogleで検索してみたら、一番初めに出てきたのが北村さんのブログでした。打ち合わせをお願いして、プレゼンテーション資料を準備し、「外科医療における画像認識で手術を支援するAIを開発したい」と提案しました。思えば当初のプレゼンテーションから今に至るまで、やっていることは実は変わってないですね。
プロジェクト支援の決め手となった熱意
北村:小林さんの提案を聞いて、AIが画像認識で手術を支援している未来は、いつか必ず実現するだろうと感じました。医療はインキュビットとしても注目している分野でしたし、それに取り組むのは、チャレンジングで面白そうだなと。そこで、「Incubit for Seeds」というプログラムにして、インキュビットは技術を投資するという形でサポートすることを決めたんです。会ってお話するうちに、この研究に対する小林さんの熱意がすごく伝わってきたのも、サポートを決めた大きな理由の一つでした。小林さんは外科医でありながら研究者でもあり、この先壁があっても諦めずに乗り越えられるだろう、そう感じましたね。
小林さん:ありがとうございます。僕は外科医として患者さんに質の高い手術を提供するために技術を磨くことと同様に、外科医療に関する調査や研究も非常に重要だと考えています。合併症の発生をどのようにして防ぐか、どうすれば手術はより安全になるのか、データを集め検証を続けてきました。
外科医になって5年目くらいの頃から、PC上で人体の構造の詳細を精密に描くことを始めました。人体を正確に描き表せるようになりたい、それがよりよい手術につながるのでは。そう願って始めた試みですが、いくら教科書通りの完璧なイラストを完成させても、実際に手術した時に人の体がその通りであることはほとんどありません。患者さん個々の違いを全てイラストで表現することはできませんが、AIにはそれができるのではないか。そしてそれが実現した時、より安全な手術が実現するのではないかと可能性を感じたのです。
プロジェクトのゴールは実現できるのか、未知数なままでのスタート
北村:AIのプロジェクトでは、実際に開発して結果を出してみるまで、どの程度まで精度が出るのか正確なところはわからないんです。ただ、この手術支援AIに関しては、僕は「ある程度のところまではいけるだろう」と考えていました。当時、インキュビットではすでに類似のプロジェクトの経験があったんです。温室で生育しているトマトの画像から、幹、枝、実を識別するAIで、農業用ロボットに使われている技術です。この画像認識の技術を応用すれば、手術支援AIでも一定の精度が出る自信はありました。小林さんは結果に対して、どのような期待値をお持ちでしたか?
小林さん:プロジェクトのゴールは、AIが提示する情報を手術中の外科医が有用であると感じてもらうことです。つまり、AIの精度が外科医の認識力と同等ないしそれ以上である必要がある。そのレベルまで到達できるかどうかは、正直なところまったくの未知数でした。もちろん、それを目指すわけですが。現実的なゴールとしては、研究成果としてまとめられて、それを発表する事で手術支援AIを一歩実現に近づけることに貢献する。そこまでの精度は達成したいと考えていました。
手術中の外科医にとって有益な情報とは何かを考え抜く
北村:そこから具体的にプロジェクトの計画づくりを始めたんですが、スコープについてはかなり議論しましたよね。小林さんの専門である消化器外科の領域において、一口に手術といっても、胃がん手術、大腸がん手術など手術の種類は無数にあります。どの手術において、何を認識するのか。インキュビットから提案させて頂いたのは、とにかく対象を絞るという事です。最初から対象を複数にして色々試してしまうと、たとえば思うような精度が出なかったとき、何が原因で精度がでないのか特定できないんです。
小林さん:手術中の医師にとって本当に有益な情報とは何か。それを考え抜いて、最終的に一つの手術である特定の対象一つだけを認識するというところまでスコープを絞り込みました。北村さんがおっしゃる通り、そこまで絞ると、試行錯誤出来る事がそもそも制限されるんですよね。その上で高い精度を出す方法論を確立できれば、それを他の対象に広げていくのは現実的だし、理にかなっているなと感じました。
積み重ねていった成果
北村:プロジェクト自体はある程度まとまった教師データを準備して、それに対してAIを開発。結果を分析した上で次の開発方針を決める、そのサイクルを繰り返していったのですが、今回の研究開発の結果についてはどう感じますか?
小林さん:地道に一歩一歩階段を上るように精度を上げていったな、と今あらためて振り返ると感じます。最初から満足がいく結果が出たわけではありません。試行錯誤を重ねて、ある程度よい結果が出始めると、もっと精度を上げたくなります。誰かに見せて「もう一息」と言われると奮起してまた頑張る、その繰り返しでした。
北村:研究開始時から比べるとすごい成果ですが、精度が上がってきたものをみるとまだまだと思いさらに上を目指す、とゴールが都度上がっていく感じでしたよね。
小林さん:そうですね。結果が出るたび、これを手術中の外科医が有用だと感じるかと常に問い続けました。たとえ技術的にある一定以上の成果を出せたとしても、実際に外科医が有用だと感じなければ彼らの助けにはなりません。僕たちは非常に小さいチームだったので、こうしたらもっと精度が良くなるのではという仮説を立て、修正を行いその結果を検証するというサイクルを素早く廻しながら研究を進められたのは本当に良かったと思います。
精度が段階的に上がる都度、共感、協力してくれる外科医の数も増えていきました。特に兵庫医科大学の篠原尚先生を始めとするエキスパート外科医からの助言は非常にありがたかったです。僕自身は外科医としてまだまだ半人前で、この研究を通してエキスパート外科医がもつ経験と知識を改めて学ばせていただきました。初めて先生にお会いした際に伺った手術に対する先生の哲学的な一言が強く印象に残り、それを研究に反映させることで精度が飛躍的に向上したこともありました。同世代や若手の外科医の先生たちも多数協力してくれて、そうした複数の外科医の視点を統合し、ブレの少ない平均的な答えを導くことができるのもAIの強みであると思います。
>(後編)ブレイクスルーを経て起業へ。外科医療 x AIのスタートアップ、アナウト株式会社の目指す「より安全な手術」が実現する未来